戦争を経験した古い政治家たちは密室政治で悪さを働いていた印象があるため、一概に昔は良かったと言う気にはなれない。でも、優れた点が二つあったと思う。一つは、ハト派タカ派を問わず(昭和の妖怪の一味を除けばだが)、絶対に戦争はしないという信念があったと思うこと。もう一つは、皮肉にも密室政治だったからかもしれないが、核心がハッキリしないこと、もっと正確に言えば核心を問われることには近づかない狡猾さがあったと思うこと。そのため、見えないところで暗黙の了解をつくっていたのだろう。
それに比べて現代の政治家は正直すぎる気がする。最近、存立危機事態が国際問題に発展している。当り前だ、それを政治家が口に出せば、具体的にどういうことなのかを必ず問われる。返答次第では宣戦布告になりかねない。だから、昔の政治家はそんなことには近づかなかった。国会議員なのに、具体的な内容を問われて困る法律はつくらなかった。自衛隊のように外国から見たら軍隊に見えるものでも、戦争はしないのだから?これは軍隊ではありませんと言ってハッキリさせず、のらりくらり戦略をとった。高等戦術だと思う。
抑止力の本質は「曖昧」にある。どのくらいの戦力があるのか、どこまですると日本は反撃するのかよくわからないということが重要なのだ。高度な技術を持ち、極めて紳士的にふるまっているだけで相手は最初の一歩すら踏み出すことができない。
今の政治家は、強がろうとしているのかカッコつけようとしているのか分からないが、法案も発言もべらべら語り過ぎだ。

- ホーム
- ブログ
- 井の中の蛙が大海に想うこと
- 「曖昧」こそ抑止力
