妥当性

絶対的な是非は無さそうだと私は思っている。あるのは妥当性の程度ではないだろうか。

本来、是非は賛同者の多寡で決すべきものではなく道理を尽くすものだ。だから、少数であっても一理あるなら蔑ろにすることは許されない。また、歴史的、地域的に見れば、自分の置かれた環境で是とされていることが他でも同じだとは限らないしその逆もある。つまり理は一つとは限らない。だから、いちいち自ら判断しなければならない。それを一人ひとりが行うことで社会の均衡は保たれるのだと思う。たとえば、民主主義はそれを前提にしないと成り立たない気がする。

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