説明するということ

先日終了した<建築をわらえ展>で改めて感じたことだが,この展示は風刺や問題提起をテーマにしているため尚更強く感じたのかもしれないが,説明をすることがあまりに野暮で抵抗があった.ただ,それは建築や設計を説明するときにも少なからず感じることだ.
いい機会なのでよく考えてみたところ,建築や設計を直接説明しようとすることは同じことを二度語るようで野暮に感じていることに気づいた.私が重んじているのは建築や設計の結果に対して,そこに至る過程を説明することだからだ.建築家という存在に意義があるとすれば,目的に向かって建築物をつくるとき,その数だけ可能性があることを示すことだと思っている.その多様さが豊かさを示していると考えるからだ.数ある可能性の一つが私の設計したものなわけだが,当然人の数だけ考え方があるので,私とは違う考え方の人に,何をどう考えるとそのような設計になったのかを語ることが誠実な説明だと考えている.
これは建築や設計を直接説明することは明らかに違う.敢えて口幅ったいことをいうなら,建築は自身の何たるかを建築の存在自体が語る雰囲気を纏っていなければならないと思う.できているかどうかは別として...その上で,批判に晒されるのを覚悟するのは建築家の矜持というものだろう.

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