問いの立て方が重要

元総理が街頭演説中に銃撃されたことについて,犯人の供述の中心が政治信条に対するものではないから,テロではない事件(怨恨?)という切り口で語ろうとする論調が多いように思うが,テロにしろそうでないにしろ違和感がある.それは,私が「政治家に対する暴力はテロで,それは当選政治信条に対するもの」と勝手に思い込んでいるからだと思う.

この事件は政治手法に対する暴力だったのではないだろうか.安倍政権で問われたモリ・カケ・サクラはいずれも権力を掌握するための手段だったように思うが,旧統一教会との関係もこの中に含まれる気がする.更に言うなら,官僚に公文書を改ざんさせたのも権力を乱用して権力の基盤を固めようとしたものだったように思う.

これも私の思い込みかもしれないが,政治家が権力を欲するのは理念を実現するために権力という手段が欲しいのだろうと思ってきた.つまり,権力は手段であって目的ではないと思ってきた.しかし,昨今権力が目的化しているのではないだろうか.それは政治に限ったことではなく,「勝ち組」や「マウント」という言葉が日常化したように社会全体の傾向に思えてならない.

前にも書いたが,私は地球が生まれて以来最も残虐な生き物が人だと思っている.それは未来を切り開く素質でもあるが,滅びの原因にもなり得る.だからこそ,人は道徳や法律を鍛えて残虐性をコントロールする必要があった.もし,立法に関わる政権与党からして権力という人間の本能に根差す政治手法を目的化しているのだとすれば危険極まりない.

この事件は犯人の動機(犯人の意思)に注目するのではなく,何かが人の行動を喚起しているのではないか?と問いを立てる必要がある.視野を広げれば,核兵器を持つ大国が核兵器を持たない隣国に対して核の脅しをかけるなど,何を血迷ったのかと思えるような力の行使に世界は翻弄されている.これも根っこは同じだと思う.とにかく,理性で本能をコントールする社会を早急に取り戻さなければならない.手遅れになる前に.

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