MVPに見る文化の違い

自由な意思に基づいて行動しているつもりでも,実はその意志自体が育った環境(文化)の影響を受けることは避けられない.本人たちは全く気にも留めていないと思うが,大谷やジャッジのプレーには文化の違いが現れていると思う.アメリカ人は,建国前から独立戦争でも入植し開拓した時代でも元をただせばヨーロッパにいた時ですら,脅威を打ち負かすことで自存自衛をしてきたのだろう.そうだとすれば,攻撃力は彼らのアイデンティティと切り離すことはきっとできない.だから,彼らのホームランに対する偏愛は得点に直結し相手を打ち負かす最も強力な手段であることに由来するのだろう.一方,島国である日本は未知の脅威に晒されることはあまりなく,また,人的脅威は限られた範囲では自らと関わりのある場合も少なくない.このような状況では多くの場合戦うより協力し合う方が利口だ.その時重要なのは和(バランス)だ.意思と能力があるなら,大谷のようにバランスをとりながら投手と打者を目指すことに共感する日本人は少なくないだろう.しかし,ホームランの数を減らしてまで両方を目指すことに共感できるアメリカ人は日本人ほどはいまい.いつもフロンティアを切り拓いてきたアメリカが,大谷がMLBに刻み続けるフロンティアの価値に気づくのは,大谷に憧れた子供達が同じ舞台で活躍するときまで待たなければならないのかもしれない.

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